大学の”イツメン”五人で、台湾旅行に行った。
占い横丁で、「はやく決めないとセンセイも歳だから腰痛いネ、座らせてヨ」なんて言ってcawaii、『日本語で本格的なうらない』の先生の椅子に座った。
「あなたはやさしい。神よりやさしい人ヨ」
彼女は優しかった。
彼女は、あらゆるものなんでもを最終的に許す。なんでも好きで、なんにも嫌いではないのだ。
ある女が目で追った。
「あいつマジきもい、イライラする。近寄られて、嫌じゃないの」
問われた彼女は、なんにも嫌いではない。
「気にしたことがない。なんでそんなに気になって、そんなに見ているの」
彼女は、何事も知るとのめり込む人間である。
「見ちゃうとハマっちゃうし、どうしようかな~」
恋愛哲学とでもいうか、ありがちな一般論は、嫌いは”気になる”である。だから好きに転じるストーリーが多々あり、全く体験がなくとも不思議と少し共感を得ることがある。
そして、好きが”気になる”だから、好きの反対は”無関心”であるという。
つまり、彼女は無関心である。
彼女は、あらゆるものに興味があり、無関心である。
彼女は、神より――。
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