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【小説】ある平穏な日曜日のこと

 走れるようになったのが嬉しいのか、二つボンボンのついたヘアゴムを揺らしながら小さな女の子が、ドテン、と前に転んだ。泣き出すか。僕は頬杖をつきながらストローをくわえつつ待っていた。
 すく、と上げた顔は意外にきょとんとしていたのに、だんだん瞳に涙をいっぱい浮かばせて、一瞬だけものすごくイヤな顔になった。しかしそれからすぐに立ち上がり、また走り出す。
 僕はそれを見送ってから、コーラを飲み下した。
 久しぶりに出向いたデパート。ペットショップで子犬をみて回ったあと、フードコートとガラスで挟んだテラスでボケーと座っていた。
「ポテトいらないの?」
 母の言葉にはっとして目の前にあるポテトを口にほうり込む。
「あ、あああふっ」
 熱いっ……!
「バカねえ」
 まわりでたくさんの人が会話をしている。人が声を発して、機械が音を発して、ものとものがぶつかる。雑音は、意識を記憶の海へ追いやった。


ある平穏な日曜日のこと


 小学生の頃、隣の隣の隣の部屋に二歳年下の女の子がいた。たまに一緒に遊んでた。笑顔の可愛らしい子だった。ふと、なんでだろう、最近見かけないなあと僕が呟くと、母は言ったっけ。
「この前に引っ越しちゃったよ、知らなかったの?」
 ――僕はあのときの脱力感というか、喪失感、あっけなさ、ただ唖然とするしかなかった気持ちを今でもはっきりと覚えている。引っ越すってのは知っていたけど、人が引っ越すことを知らなかったというか、近所の子がどっか行っちゃうなんて思ってなかったからだ。レゴブロックの、たまーに使う部分をなくしたような。もう何年も経った今、やや埃かぶったテラスのテーブルでコーラを飲みながらも、僕はあの時の喪失感を思い出していた。

 キャン!

 突然、耳に突き刺さるような子犬の鳴き声。斜め下に目をやると、なぜか僕に向かって絶え間なく吠えている犬がいた。
「ほうら吠えんな、こら」
 背の高く細身の、お洒落な兄さんがリードを引っ張っていた。
 家の前にいたコリーとじゃれて満面の笑顔だった、もう名前も思い出せないあの子。引っ越す前日にわざわざ僕を呼び出して遊んだあの日も彼女はあの吠えるばかりの犬を馴らしていた。
「わり、ごめんな」
「いえ、平気です」
 僕に吠える子犬を見下ろす。こいつも大きくなるんだな。
「アスカ。ほら行くぞ」
 リードを引っ張られUターンし去っていくそいつに、立派な犬になるんだぞ。なんて心のなかで呟く。
「ふふ、あんた昔からよく犬に吠えられるね」
「うう……」
「あの犬、むかし家の前にいた犬と同じよね。そういえばあそこの犬っていつの間にかいなくなっちゃったよね。死んだのかしら。むかしはよく吠えてたのにね」
「しらねー」
 そういえば、あの犬もいつのまにかいなくなってしまった。みんな何処に行ったんだろう。


 ……あの子は今頃どうしているだろう。
 大きくなっただろうか。美人になっただろうか。あの綺麗で長い髪は健在だろうか。いつまでもあの笑顔で笑っているだろうか。
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